心のセックスをしよう
セックスはしなくてもいいので、乳首が舐めたい気分だ。
僕はセックスがあまり好きではない。
ここでのセックスとは挿入後のセックスであり、つまりピストン運動、アルファベットでいう「C」である。
確かに、挿入という行為はとても気持ちが良い。
愛する二人がひとつになる素晴らしき行為でもある。
セックスは双方に愛という感情がなければ出来ない。
つまり、愛が沸点に達した際にセックスという行為が待っているのだろう。
しかし、セックスを行なう意味は、本当に愛だけなのだろうか。
口ではそう言えたとしても、心の奥底では快感を求めているのではないだろうか。
快感を求めた時点で、本当の愛とは言えない。
それならば僕は挿入しなくてもいい。その真意が冒頭の言葉に繋がっていると思って欲しい。
僕が求めているのは、心のセックスであり、身体のセックスではないのだ。
僕が考える本当の愛、つまり本当の心のセックスは愛撫
アルファベットでいう「B」である。
愛撫という行為は、奉仕の心である。
奉仕とは、自らを犠牲にし、人の為に尽くす愛の心。
それは愛撫とまったく同じではないだろうか。
自身は快感を得ることなく、それでも相手の為に全力を尽くす。
相手の喜びが自身の喜びなのだ。何と美しい行為だろう。
それこそが本当の愛、心のセックスではないだろうか。
逆に僕が愛撫をされている時には、その一生懸命な姿に感動さえ覚える。
少なくとも、両足を広げて招き入れる姿よりも愛を感じる。
なので僕は愛撫に十分な時間をかける。
僕の愛撫が僕の愛であり、相手が溢した吐息が僕の喜びなのだ。
だから愛を表現する行為に挿入は必要ないのだ。
だからセックスはしなくてもいいので、乳首が舐めたい。
でも出来れば入れたい。





