ホームページ管理人

少し前、新宿で、ある有名サイト管理人さんと飲みましてね。
その方と知り合ったのは数年前で、
お互いネット上で一緒に絡んだこともあったのですが、、
直接お会いしたのはそのときが初めてでした。
お互い管理人暦は長いですから、
ちょっと昔のネット界の話に花が咲きましてね。
その会話のなかで
「ホームページの管理人は、実世界は不幸であったほうが面白い文章を書ける」
という話になりまして、これにかなーり同意してしまったんですよ。
◇
当時、インターネットに文章を記すには、それなりの覚悟が必要だった。
まず有料プロバイダに申し込んでホームーページの容量を確保。
次にサイトを作るために有料ソフトを買うか、
HTMLとCSSの本を眺めながら自分でHTMLを書き込んでいく。
無料ブログに登録して、携帯で気軽に更新するような環境じゃなかった。
だから、その当時のホームページは、
その手間と費用を差し引いても他人に何かを伝えたい、
そういう想いにみなぎっていた。
もちろん、時としてそのページの主張が世間的に間違っていることも多々あったけど。
だけど、読む人も見る人も、皆ある種の覚悟をもってネットに接していた。
「俺はこの文章を読ませたい」
「みんなに私がここにいることを知ってほしい」
仕事が順調で、家庭が順調で、そういう人が気軽に書いているブログ。
確かに面白いものもあります。
だけど、かつて、ブログがホームページと呼ばれていた時代、
ネットはそういう人のためのものではなかった。
世間から半歩距離を置いた、置かざるをえなかった、
そういう人のためのものだった。
実世界では誰にも相手にされず、必要とされず、
叫び声を上げたくても声をだす場所がなく、
勇気を振り絞って出した言葉は誰にも届かない。
そういう人が作ったホームページの迫力は、
本当ににすさまじいものがありました。
水の出ているホースの先っぽを押しつぶしたときのように、
出口のない思いがネットという細い穴を通じて
すさまじい勢いで噴き出していました。
人生のサブにネットがあるんじゃない。
ネットがメインだった。
人生と平行してネットがあるんじゃない。
ネットが入り口であり、出口だった。
ボクらにはネットしかなかった。ホームページしかなかった。
自らの言葉を発せるのは、自分の存在を世間に知らしめる手段は、
自分が作ったホームページしかなかった。
近年は芸能人のブログが流行しているけど、
違うんだ。
そういうんじゃないんだ。
あなた方にはスポットライトを浴びる場所が他にもある。
ネットの外に、もっと華やかな世界を持っている。
だけど、ボクたちの舞台はここしかないんだ。
罵詈雑言が飛び交う荒地にしか、ボクたちは生きていけなかったんだ。
◇
当時、学生だったホームページ管理人は、みな社会人になった。
ある人は会社に生きがいを見つけ、
ある人は結婚し、家庭を持ち、子供を持った。
みな、自分の存在意義を他に見出せるようになった。
そしてネットから離れていった。
ボクだけが残った。残された。
夕暮れの住宅地。
刻一刻と夜が濃くなり、道端の住宅から灯りが漏れ、
楽しそうな声が聞こえてくる。
だけど、ボクはまだその中には入れない。
いつしか共に歩いていた人はいなくなり、街灯もひとつひとつ消えていく世界で
それでもボクは道を歩き続ける。
ボクが居てのいいのは、この世界だけだから。
だからボクは今日もネットに文章を記す。
これを見ているあなただけが、私を必要としてくれているから。
……といった話を熱弁したところ
「そこまで後ろ暗い想いをしてホームページをやっていたわけでは……」
「それは被害妄想です」
「脚色もはなはだしい」
といった否定のされ方をしたので、今日もまた引きこもろうかと思います。
「はい、そろそろお友達の紹介を」 <タモリ
「えっと、いません」 <えー、という声もなく



